終の住処 #3 ~ 造化にしたがひ造化にかへれ

造化にしたがひ造化にかへれ by kimizuka architects

ひとつ、勘違いしてはならないことがあったとすれば、幼いころに触れた 自然の記憶 がある一方で、都会でずっと暮らしてきた彼が、 終の住処 として 東伊豆 の地を選んだ理由は、所謂、「 田舎暮らし 」をしたかったからではないということだろう。それは、彼とのやりとりの中で私が直感的に感じ取ったことであるが、彼が本当に死を目の前にして抱く 自然観 を考える上では、とても重要なことであったように思う。

彼はリタイア後に、なにも、田舎で土にまみれて 自給自足的な生活 をしようとか、そういう目的でこの 終の住処 を建てようと考えたわけではない。 自然 の中に溶けいるようにして逝きたいという彼の願いは、本能的のようにも見えるが、同時に観念的な 精神性 からくるものであった。

昔、少しだけかじったことのある 松尾芭蕉 の「 笈の小文 」にある「 造化にしたがひ造化にかへれ 」ということばを思い出すが、彼が最期を 東伊豆 の 自然 の中で過ごしたいと考えたのは、彼がずっと都会で生活をしてきたが故の感受性から来るものであり、自らが 夷狄(いてき)化してしまうことを欲しているわけではないと私は理解したつもりである。 自然に溶けいる感覚 に対する欲求と、本当に溶けいって戻れなくなってしまうこととは違う。芭蕉で言うなら俳句というアウトプットを臨界点として俗に帰還するわけだが、彼も、 終の住処 で一瞬でも何らかのアウトプットを得て最期を迎えることが、この地に建てることの価値であったのだろう。

そして、亡くなられた後、彼が当時、末期癌であることを知った上でこの計画を進めていたことを知らされた時、私の理解はきっと正しかったのだろうとあらためて感じたのだった。

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