建築のデザイン というのは、様々な次元における 振る舞いの蓄積 によりたどり着く、ある種の 趣き のようなものである。その過程はけして単純なものではなく、複雑であるが故に面白い。しばしば、 デザイン を一言で説明しろなどと言われることがあるが、そんなことは土台無理な話しであり、一見明解に見える説明の多くは、一つの側面の都合の良い部分を抽出し、体裁を整えているに過ぎない。建築はそこまで単純なものではないし、多くの矛盾を内包している。その矛盾を重箱の隅を突くようにいちいち指摘するのも野暮である。
しかしながら、そんな 矛盾の塊 である 建築 も、最終的には一つの 趣き と呼ぶにふさわしい体をなして来ることも事実だ。それは、プロジェクトに関わったあらゆる因子によって生み出される一つのバランスである。 建築家 などという職業は、その絶えず揺れ動く全体に対して、羊飼いのように 若干のベクトルを与えながら、バランスを生み出す仕事に過ぎないのかもしれない。もっとも、それが難しいのであるが。
この 家 の 敷地 は公道から一皮入り、なおかつ、一段レベルが谷側に落ちた 棚地 であった。公道側からも、空き地や農地として使われている隣地を介して、建物を認識できるが、それは、2階レベル以上の部分の背後のみである。もともと建っていた 古家 は平屋であったから、屋根だけが見えていた。この建物の正面を実際に見れるのは、細い谷側のアプローチ側からアクセスした人だけであり、それは、隣地の住民を含むごく限られた人のみである。
立派な 家 をこれ見よがしに見せびらかすために建てると考えているような人は、このような、見せびらかせない敷地に建てる家の体などどうでも良いと思うかもしれない。しかし、この 家 は 終の住処 。つまらない対外的な見栄のためではなく、クライアント自身の 生き様の結晶 として、そして、彼の家族への、お金ではない 最後のメッセージ としてある。クライアントもそういう思いであったに違いない。そして、そのような思いで試行錯誤された結果として収束する趣きが、ひとつの体として現れてくる絶妙のタイミングが必ず訪れる。私は、そこを確実に捕らえたいと考えていた。
こうして、 終の住処 の 外観 は生まれた。公道から見えるその佇まいは質素そのもので、ガルバリウムに覆われた小屋のように設えたその 外観 は、平屋のように周辺の古家に馴染んでおり、新築という以外にその存在を主張していない。一方、この敷地を含み、数件の敷地のためにしかない、谷側の細いアプローチからアクセスするに従って現れて来るその 外観 は、 開放感 に溢れ、今にも 傾斜地 から羽ばたきそうな 躍動感のあるもの となった。
これらの 対照的な顔 を持つ 外観 は、物理的な形態自体が先にイメージとしてあったわけではなく、先に述べたように、彼の抱く 自然観 を、私なりに解釈した上で 建築 に翻訳し、結果的にたどり着いた 自然な趣き に、最低限の 建築的補正 を加えることで生まれたバランスそのものである。だから、この 建築的振る舞い に対して彼から頂いた「 これは、自分の生き方そのものだ 」という感想は、建主の意志をかたちにする 職能的建築家 である私にとって、この上ない褒め言葉であった。
→ 終の住処 #6へ