被災時、この地域を襲った 津波 の実際の水位は、地盤から1.5mほどまで上がったのではないかと言われている。敷地内の付属建築物を始め、近隣の民家の中にも流されてしまったものもあったようだが、Sさんの実家は残った。3つの棟のうち2つは 古民家 であったが、3つともとりあえず流されなかったことは幸いであった。
初回の 現況調査 は、解体を伴わない見える範囲に対して行った。床下に堆積した汚泥は、被災後 の ボランティア たちの協力で、既に撤去されたとのことだったが、床下を見る限り、束や大引き、そして根太組は、ほとんど使い物になる状態ではなかった。壁についても、部分的に 土壁 や雑壁が残ってはいたが、構造的な耐力 については、ほとんど期待できるものではない。構造的に継続的な使用が可能そうであったのは、古民家 特有の 土着性 の高い 小屋組 と、それらを支えている主要な 太い柱 群だった。もっとも、相応の修正や 補強 を行うという前提である。こういうプロジェクトは、実施設計前 に建物を スケルトン状態 にして、より具体的な 補強 や修正を考えざるを得ない。
躯体以外の部分で特に目を引いたのは、竈 (かまど)である。昔ながらの、左官職人 によって仕上げられたものだ。何とか、この 竈 に関しては再生してあげたい。最悪、竈 として再生することが厳しいのであれば、他の用途に転用してでも、何かのかたちで残してあげたいと感じさせるものだった。Sさんにとっても、この 竈 には特別な思い入れがあるらしく、残す方向で考えたいということだった。
また、現況調査に訪れる前に、Sさんの奥さんからもっとも思い出深いスペースと伺っていた 南東の角部屋 を確認した。この 角部屋 は、Sさんのお母さんが子供の頃、茅葺を瓦屋根に葺き替えた際に、前土間 を居室化したもののようで、50坪の平屋の中では非常に小さな部屋であった。しかし、毎回家族が集まった際には、中央の茶の間などではなく、この部屋が 集いの間 として使われていたという。自分が生まれ育ったわけではない地で、新しい暮らしを始めようとするSさんの奥さんにとって、このような小さな 記憶の蓄積 はとても重要なことだ。こういうことが、計画を進めていくうえで一つの拠り所になる場合がある。
初回 現況調査 を終えて、このプロジェクトは当面、二つのパースペクティブ で進めていくべきという話になった。
一つは、少なくとも、今の状態のままでは、建物の 物理的劣化 は進み、ゆくゆくは本当に崩れてしまうかもしれない。Sさん夫妻は、即席 に改修を終えようとは考えておらず、時間をかけて 段階的に作 り込む ことを前提に、今回を一期工事と捉えた予算を組んでいたが、まずは、構造的な補強 に加え、雨風を凌ぐ外皮 が必要だ。これを 一期工事の必要最低限のノルマ とし、予算 の範囲で出来るところまで行うことになった。
そ して、もう一つは、長期的にプロジェクトを進めていく上で、将来的な ブループリント をしっかりと頭に描く必要があるが、それは、信念 に似た、確かな Sさん夫妻の価値観 に裏付けられたものでなくてはならない。その日の気分で変わってしまうような洋服選びとは 違う、筋の通った 価値観 であってほしい。もちろん、価値観 は変わる可能性もあるが、それが、成長や進化によるものか、気まぐれによるものかでは大きな違いがある。たとえ、引き返したり、軌道修正をすることがあっても、意味のある足跡 を刻み続けることによって、すべてがこの家の 忘れ去られることのない歴史 となる。
二つのパースペクティブ は、多少温度差を伴うものかもしれないが、登ろうとする山の頂きを見据えつつ、目の前の足元を軽視しない、当然のプロセスであり、ブループリント の質と、目の前の一歩の価値の重さ は、直結するものである。
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