2011年3月11日の出来事 は、今も記憶に新しい。私はその前日に、1年余り 設計・監理 を行っていた 住宅 の竣工引き渡しを終え、当日は一段落して事務所でのんびりと過ごしていた。初めは、よくある少し大きめの 地震 程度にしか思っていなかったが、次第に揺れが増し、しかもなかなか治まる気配がない。倒れかけた本棚を抑えながら窓越しに外を見ると、民家の瓦屋根が、踊るように上下に激しく揺れていた。その瞬間は、この揺れがまさか、東北 で起きた、数百年に一度という 大地震 が、東京に流れついたものであるとは、想像すらしなかった。その後の国内の被災状況については、皆の知るところである。
この 震災 は、多くの人々の 価値観、とりわけ、 豊かさ とは何かという問題について、大きな変化をもたらすことになったと考える人は多い。しかし、本当は少し違うように思う。震災前後でガラリと 価値観 が変わるほど、人の心というのは単純ではない。そうではなくて、多くの人が、もともと持っていた何かが、この 震災 をきっかけに呼び起され、そして、覚醒しはじめたというのが正しい表現なのではないかと思う。それは、もしかしたら、時間と共にまた成りを潜めてしまうものなのかもしれない。けれども、もし、その覚醒した 豊かさ の芽を、地道に見失わず、育てていくことが出来れば、それはきっと、未来への大きな希望になる。
個人で 建築家業 を営む私のような者は、自分自身の具体的な仕事を通じてしか、そのような人たちの芽を育てていくことに貢献出来ない。しかし、そのような僅かなことであっても、良き出会いがあれば力になりたいと思い続けていた。そして、その思いは、震災後 一年余りの時を経て、私とSさん夫妻との 出会い というかたちで実現することになった。
Sさん夫妻は、当初東京近郊に在住していたが、将来的にはご主人の実家である仙台に、 Uターン移住 することを計画していた。そして、3.11の 震災 を契機に、そのヴィジョンをより具体的に実行に移すための計画を、始めたいということであった。そこには、もはや、単なる Uターン移住 ではなく、逆境に立たされたが故の、大きな希望と夢を携えた 開拓者精神 が宿り始めているかのように私には映った。そういった、高い志のある計画を前にして、断るようであればなんのために独立して 建築家業 を営んでいるかわからない。これを「 仕事 」と呼ばずして、何と呼ぶのだろう。私は彼らの 力になりたい と心から思った。
→ 住み継ぐ家#2へ続く