終の住処 #4 〜 渓谷を臨む 抽象的な自然浴

抽象的な自然浴 by kimizuka architects

敷地は 渓谷 に面していたが、いわゆる 傾斜地 ではなく 棚地 であったため、谷の深さ奥行き、底に流れる川の存在を、より身近に感じることができるのは、下階よりも上階であった。そこで、メインの居住域を2階にあてがい、1階はゲストルームを中心に構成することにした。

抽象的な自然浴 by kimizuka architects

谷側に せり出したバルコニー を介した フルハイト窓 から、四季の変化を堪能できる渓谷の 自然 を取り込む。こんなにも間近にありながら、敢えて土に接することのなく、 樹々の中に浮かんでいる かのような 自然との関係性 。触れそうだが触れない。しかし、そもそも、病で見動きが厳しくなった身体を想定すれば、触れない方がむしろ良い。大切なものは、空気や風、香り、音、気配、光あるいは色、そして、目がまだ見えるうちは視覚的な景色など、間接的な情報から得られる 抽象性に浴する 中で伝わってくる。そのためだけの シンプルな空間 がそこにはある。そんな、求められている 自然観 を私なりに解釈しつつ、 シンプルに建築化 した提案を、クライアントはとても喜んでくれた。

抽象的な自然浴 by kimizuka architects

ただ、一つだけ、その提案を進めるにあたって、彼が前提条件としてあげたことがあった。 ホームエレベーター の設置である。木造2階建の家にエレベーターの設置というのは、普通に考えたらオーバースペックであり、今回のケースでも、予算的に他の部分への影響を与えることになると思われた。しかし、彼はコスト調整の最後まで、エレベーターを減額要素にカウントすることはなかった。

当時、私は彼の病状を知らなかったので、そこまでしてエレベーターが必要なのかと思わなくもなかったが、今は理解できる。彼にとっての優先順位は、まず、 自然との関係性 、そして、次が、いよいよ体が動かなくなろうとも、可能な限りの長い時を、それを享受し続けるために必要な、縦移動の手段だったのである。これは、たとえば、妥協して1階にメインの居住域を移したり、あるいは、2階に居住域があっても、階段でしかアクセスできないというものであれば、やはり、片手落ちの感は否めなかっただろう。もっとも、彼が健康な時であれば、エレベーターを将来工事とし、スペースだけ確保しておくことも考えられたかもしれない。しかし、彼にはもう、そのような時間的猶予はなかったのである。

本当は、海外の大邸宅にあるような、下階の居室の床がそのままジャッキアップされて、2階の居室にもなるような設が出来れば、建築としてはユニークだったかもしれない。今回は、流石にそこまで過剰な悪ノリをするだけの予算はなかったが、必要最低限の小さなホームエレベーターは、なんとか、やりくりして残すことができた。このような 意味のある拘り こそが、正に 価値観 であり、 家づくりの要 でもある。たかが、小さな ホームエレベーター にも、そこに至った ストーリー がある。

→ 終の住処 #5へ