終の住処 #10 ~ ディテール 、そして 、人

住宅の設計 をしていると、しばしば、 建築家 は 家具 まで設計するのかと聞かれることがある。通常、我々のような 設計事務所 は、建物のハコだけでなく、 内部の造作家具全般 までその家に合わせて設計する。また、希望があれば、 置き家具のコーディネート やアドバイスも行う。もっとも、個人的には、使い方の隅々まで、すべてを設計者がコントロールすることがあまり良いとは思わない。緩く、バランスを極端に崩さない程度のコーディネートが良い。

造作家具の設計 はフルオーダーが原則だが、予算によっては既製品を選び、内部造作に嵌め込むなどの工夫をする。 家具の作り方 というのは、材料やディテールまで多岐に渡る。そして、それは当然コストにも影響する。予算が限らられている場合、必要以上にハイスペックにする必要はないし、出来ない。仕上げやディテールはある程度オーソドックスなものを採用しつつ、使い勝手や収納量などをクライアントの要望に合わせながら、 デザイン的な調和 を図っていく。

オーソドックスとはいえ、棚や扉の構造や小口、引き手の納まり、樹種や保護塗料の選定など、それぞれ皆、理由があって決定している。毎回同じというわけではない。また、施工者がつれてくる家具屋さんの癖というものもあるので、現場では細部まで打ち合わせ、調整、確認の上で進められる。

終の住処 造作 ディテール by Kimizuka Architects終の住処 造作 ディテール by Kimizuka Architects

造作家具 に限らず、 建具 や 大工造作 、 金物 、その他の細部の納まり調整のひとつひとつは、一見、どうでも良いものに映るかもしれない。けれども、そういった 細部の集積 が、最終的な出来栄えに、ボディーブローの様な効果をもたらす。

終の住処 造作 ディテール by Kimizuka Architects終の住処 造作 ディテール by Kimizuka Architects終の住処 造作 ディテール by Kimizuka Architects終の住処 造作 ディテール by Kimizuka Architects

私の事務所では、 住宅 であっても ディテール まで発注図に含めることが原則だ。よく、プランとイメージだけを作るのが我々の仕事と勘違いされるが、それでは似て非なるものしか出来ないと言うことを理解して頂きたいといつも感じる。メーカーのプレファブ住宅やビルダーによる規格住宅全盛の時代に逆行するかのようなプロセスだが、写真だけではわからない違いを、クライアントは最後には手にすることになる。

既製品や規格品の多くは、最大公約数(=統計上のニーズ)をすくうという大義名分のもとに自らを正当化し、あたかもそれ以外はあり得ないかのような宣伝文句を掲げながら、実際は企業側の論理と利益が優先されてつくられている。一方、この様な テイラーメイドの住宅 は、単なるキャッシュフローやルーティーンではない、施工者や現場の職人を含む関わった全ての 人の質 、 仕事に取り組む姿勢 によって生み出される総体なのである。

残念なことに、そういう違いの分かる感受性を持つクライアントや、そういう違いをつくることに意欲的に取り組む作り手は、不可避的なグローバル化の荒波にもまれ、指数関数的に減少している。しかし、だからこそ、このような マイノリティの仕事 に携わることの価値は大きい。求める人が一人でもいれば、このような仕事は続けなければならない。それが、私が フリーランスの建築士事務所 として活動を続ける理由の一つだが、設計監理者だけががんばっても建築には限界がある。 選ばれし施工者 の存在は大きい。

今回の施工者は建築家住宅に特化した業者というわけではなかったが、現場の施工管理担当者は、私が出会ったなかで一二を争う真面目な人だった。この利益偏重の世の中で、彼のような人材は貴重である。彼とのやりとりの中で、いい加減さを感じたことは一度もなかった。人間だから間違えることもあるのは当然だが、私の知る限り、誤魔化したり、言い訳したりせず、誠実に対応してくれたと思う。信頼というのは、失敗しないだけでなく、失敗した時にどのような対応を見せるかで決まるということを、自覚している業者は意外と少ない。そういう自覚は、人の内面にある強い責任感や知性に宿るものであり、会社の名刺を盾にしたご愛想や、薄っぺらな損得勘定、あるいは、つまらないプライドからは決して生まれない。つまり、彼、そして、彼を受け入れていた施工会社やそれに協力してくれた職人たちと出会えたことは、とても運が良かったのである。今、彼は活動の場を別の地へ移したようだが、彼のような人は、どこでどんな仕事に就こうと、きっと信頼されるに違いない。また、どこかで一緒に仕事をしたい。