住み継ぐ家 #5 ~ 小さな食堂のある家

「小さな食堂 を家の一部を開放してやりたいんです。」
これが、当面、Sさんが、住み継ぐ家 に託した 夢 である。

小さな食堂のある家

そんな話を聞くと、このロケーションに 食堂 なんて開いて本当に成り立つのかなど、ネガティヴに考える人も少なくないだろう。そして、確かに、そういう指摘は、一面的には的を得ている。しかし、そもそも、大規模な営利事業なら話は別だが、兼用住宅 規模の小さな店舗において、「成り立つ」とはどういうことなのだろうか。何を尺度に、成り立つ、成り立たないを判断すべきなのだろうか。ネガティブに捉える人の多くは、単に儲かる儲からないのレベルの話を恐らく言っているのかもしれない。しかし、「成り立つのか?」という問いは、突き詰めて考えていくと、その人に、「 生きる意味 があるか?」を問うていることと、等価に見えてくる。

Sさんは、近い将来東京から 移住 し、津波 で被災した平野に、かろうじて生き残った実家の 古民家 を 住み継ぐ ことを決意した。しかも、そこでは、彼ら家族たちだけが充足するのではない、他人のためにも、家を開きたい という志しを抱いた。食堂 はその一つの手段に過ぎない。他にも、子供のための ワークショップ や、その他、さまざまなことを、自分の家や畑、雑木林を含む広い敷地を使ってやりたいという 夢 を持っているようだ。夢 を持つだけなら、誰にでもできるかもしれないが、その強いモチベーションによって、既に、このブログで紹介中の第一幕は始まり、そして、それは、ひとまず閉じた。今、彼らは、近い将来の第二幕に向けて、着々と鋭気を貯えているところである。それだけでも、彼らの志しは、既に、家を生み出す力 として機能したといえる。

彼らの志しが、最終的にどのような形態、形式に落ち着くのかは、誰にもわからないことではある。しかし、帰着点がどこになろうとも、それ自体は、生きること、そのものに比べれば、非常に小さな話しではないだろうか。究極的な話をすれば、人はいつかは死ぬ。また、人が生きることによって残したあらゆる物理的な爪痕も、いずれは朽ちてなくなるものだ。しかし、それらは、生きる意味 がないことを正当化する理由にはならない。なぜならば、豊かなモチベーションに後押しされながら、生きようとすること、そして、生きていること それ自体の中に、何よりも尊い、本当の価値 がある。そして、その記憶は、物理的な結果に関わらず、次世代 に 引き継がれ、そこで、新たな生命力に変わっていくのだ。それこそが、住み継ぐ家 の本質的なテーマなのだと思う。

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